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加齢

1月4日のエントリーで書いた坐骨神経痛、もしくは梨状筋症候群と思われる痛みはもうすっかりなくなった。

いつ消えたのかははっきり覚えていないが3月から4月頃だったと思う。
やはり寒さのせいだったのだろうか。
特になんの治療も体操などもしていない。何もせずにいつの間にか治った。
私の健康法はいつもこれだ。

痛かったら痛む動きを控える。食べ過ぎたら食べる量を減らす。
寝不足だったら寝る。酒を飲みすぎたら酒をやめる、もしくは減らす。
体の不具合が出た時、その原因を特定するのは難しいが心当たりのあることをやめたり減らしたりする。
それをせずに薬を飲んだり病院へ行ったりするのはアクセルを踏んだままブレーキを踏むようなものだと思う。
年をとると体力が衰え、代謝能力も低下し、病気になったり怪我をしたりしやすくなる。
だが、わたしは年をとるにつれて薬や病院から遠ざかっている。


若い頃は具合が悪くなるとすぐに薬(といっても正露丸やパブロン程度だが)を飲んでいた。
20代後半になって風疹になったり喘息のような症状が出たりと体調が悪くなった。どこか悪いのではと内科、耳鼻科などを転々としたが特に異常は見つからなかった。
ある夜中に下腹部が痛んで眠れなくなり、翌朝病院へ行くがやはり異常が見つからず自宅へ戻るが痛みがおさまらないので再度病院へ行くと別の大きな病院に紹介状を書いてもらって行く。医師は盲腸を疑ったがそうではなかった。原因は不明だが痛みがひかないので入院することになり、抗生物質を点滴して1週間くらい寝ていた。
退院して、生命保険の支払を受けるために診断書をもらうとそこには「尿路感染症」と書いてあった。そんな話はまったくしていなかったのに。
だが私はその前に「慢性尿道膀胱炎」という診断を受けて通院し薬を飲んでいたことがあったので、そのへんが弱いのかなと思った。
そのような原因不明の体調不良、おそらく「不定愁訴」と言われるものだと思う、が続いて、私はだんだん医者を信用しなくなっていった。結局医者だってなにもかもわかって治せるわけではないということがわかってきた。

酒を飲むようになったのはその頃からだ。私は高校生の頃に酒を飲み始めて未成年なのに居酒屋へ行って泥酔してゲロを吐いたりしていたが、浪人してほどなくして酒もタバコもやめた。タバコは二十歳をすぎてしばらくしてから吸うようになったが、酒はほとんど飲まなかった。飲みたいとも思わなかった。
だが社会人になると付き合いで飲むことがある。わたしは酒の味はまったくわからないのだが、酔っ払って自分が普段言わないことを言ったり明るくなったりふざけたりするのを周りの人が見て喜ぶのがおもしろかった。自分が酔っ払うことが楽しいのではなく、自分が酔ったことによって周囲の人が喜ぶことが楽しかったのである。
それでだんだん酒を飲むようになっていったが、それでも飲んだ後は後悔してしばらくは酒なんか見たくもない、という状態になった。
20代後半の体調をくずすまでは、酒は飲み会があるときに痛飲する程度で、夕食の時にビールを飲むとか、酒を飲んで寝るということもほとんどなかった。
今では仕事をしているとき以外はほとんど飲んでいて、ゆうべの酒が残っていることも珍しくないくらいに酒を飲むようになってしまった。

そのきっかけは、いわゆるキャバクラにいくようになったことである。
わたしは社交性がとぼしく、ほとんど無きに等しい。彼女はおろか友人さえいない。だから、人とたわいもない話をしたりふざけたり、いわゆる「遊ぶ」ということを20代後半までまったくと言っていいほどしたことがなかった。
そして私が27歳になる年のある日、どうにもおさえ難いものがあって、私はある飲食店へ一人で入った。
そこは女性がとなりに座って接客してくれる店であった。
その頃はまだ「キャバクラ」という言葉は今ほど一般的に使われていなかったと思う。少なくとも、私はまったく興味がなかった。高い金を払って女としゃべって何が楽しいのかと思っていた。
だが私は、その日、どうしても女としゃべりたかった。友人や家族や会社の同僚や先輩や学生時代の友人ではなく、見ず知らずの女と、しゃべりたかった。
キャバクラのような店にはハウスボトルというものがある。安酒だが、タダでのめる。その店のハウスボトルはウィスキーだったが、私はそれをストレートでお茶のように飲んだ。私は大して飲める方ではないのですぐに泥酔して店を出なければならなかった。

だが不思議なことに、今まで飲んだことがないほどの酒を飲んだ翌朝はなぜか爽快であった。たしかに体はだるくアタマが重く、体調はよくないのだが、なぜか気分はスッキリして、優柔不断で心配性な私がとても楽観的になっていた。
それからわたしはだんだん酒場に入り浸るようになる。
そしてそのうち酒そのものが好きになっていき、自宅や会社からの帰途に飲むようになっていく。

今ではまたキャバクラのようなところに対する興味はなくなった。あんなところで高い金を払って女とおしゃべりをして何が楽しいのかと思うようになった。
違うのは酒を飲む喜びを知ったことだ。
自分が酔っ払うのを見て人が喜ぶのを楽しんでいたのが、酔っ払うこと自体が楽しくなった。
もうとなりに女が座っていなくてもいい。会社の同僚や先輩がいなくてもいい。一人で酒を飲んで酔っ払うことが快く楽しくなった。

・・・

健康診断。43歳のときか。F判定が出た。肝機能と、中性脂肪である。
自覚症状は特になかったが、酒を飲みすぎであることは自覚していてこのままではマズいなと思っていた。
酒を飲むようになってからも時々ランニングをしたり、筋トレをしたり、山登りをしたりし、体重もそれほど増えずに年齢の割にはまあまあの健康状態であったと思う。
だが今では運動をする気にもならない。体を動かして気分がよくなるという感覚がなくなってきた。
私は長生きをしようという思いはまったくない。明日に死んでもかまわないくらいである。
ちょっと体調が悪くなると、googleで検索して大病ではないかと調べる。
でも、深刻な病気にはならない。加齢によって誰にでも見られるようなことばかりである。
健康管理というが、わたしは病院にいったり薬を飲んだりすることはいいことだとは思わない。
運動不足解消のためにジムへ通ったりジョギングをするのも嫌いだ。
私は運動そのものは好きなので、それは楽しんでやりたい。健康管理という名のもとに義務のようにしてしたくない。
ヘルシアとか、脂肪が燃焼するとか低カロリーをうたった酒などを飲むのもイヤだ。
さすがに普通のコカ・コーラはもう飲まない。飲むのはゼロだけだ。
コーラと言えば、私は30代後半から炭酸飲料をよく飲むようになった。
炭酸飲料は20歳になるころからずっと、ほとんど飲まなかった。カラダによくないと思っていたからだ。
だが、30代後半になって、なぜか炭酸飲料がむしょうに飲みたくなった。ビールがうまいと思うようになった頃からだ。
ビールのうまさがわかってきたのも30代後半からだ。20代後半に酒を飲むようになった頃はもっぱらウィスキーだった。飲む時はアルコール度数の高いものをガーッと飲む。そういう飲み方であった。だが次第に、軽いものも飲みたくなってきて、ビールを飲むようになった。

最近ではビールは緩衝材のような存在になっている。休日であれば時刻に関係なく飲む。昼からどころか、朝でも飲める。
飲みすぎなときに、このままではマズいと思ってビールにすることもある。
酒の話ばかりになってきた。でも、健康について語るときに酒は避けられない話題だ。
わたしは「適度な酒はからだによい」という考えが嫌いだし、間違っていると思う。
酒というのは酔うために飲むものであり、健康でいたいなら酔う必要はない。
酒を「適量」だけ飲んでいられる人は、私に言わせれば、酒を飲む必要がない。
私は酒を飲む時には健康などクソくらえと思って飲む。健康を馬鹿にすることが飲酒の楽しみである。
おいしいものを食べて、飲んで、いい気持ちになって、そのうえで健康で長生きしたい、そのような考えで生きることを私は憎む。
生きるということはそんなに簡単なものではない。

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死を望む人の死生観

最近は死にたい気持ちがいっそう募ってきた。単なる慣用句また感動詞としての「死にたい」ではなく、本格的な「希死念慮」という奴である。

そしてまた自殺の方法を調べた。恐怖と苦痛が少なく迷惑もかけない死に方はないか・・・。

すると、2ちゃんねるの自殺未遂体験を語るスレッドが見つかった。
以前にもちょっと眺めたことはあるが、じっくり読んでみた。

多いのは薬物とリストカットと足がつく場所での首吊りだった。
失敗した原因は、同居人のいる自宅で遂行した、電話やメールで知人にほのめかすかあるいははっきり宣言して助けられた、恐怖で自殺を思いとどまった、などである。

共通しているのは、すべて自分が死ぬ覚悟ができていなかった、死ぬ恐怖に打ち勝てなかったということである。

自殺の話になるとまず言われるのは「自殺なんかしてはいけない。命は授かりものだ。」という自殺罪悪説である。それから、「自殺未遂なんて本気で死ぬつもりなどないのだ。死にたいのならとっとと死ね」という未遂に対する罵倒。そして、「何があったの?死ぬ前に誰かに相談すれば?生きてればいいことあるよ」という心配。

「自殺は素晴らしい」という人はまずいない。
だが、非常に潔く動機も生活苦などではない場合はそれが賞賛される場合もある。
乃木稀典とか、三島由紀夫とかである。

私はこの2人の自殺にも興味を持っていろいろと調べてみたが、あまり手放しでは賞賛できないような事実をいくつか知った。そして、2人の死について否定的な考えを表明している有名人も大勢いることを知った。



調べれば調べるほど、自殺というのは限りなく困難なもので、ほとんど不可能に近いと思えてくる。
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未遂に終わった場合、「二度と自殺なんかしない」という人が多いが、中には「今度こそ」と考える人もいる。実際、自殺に成功した人は何度か未遂を繰り返した人が多いそうである。



私は自殺を試み未遂に終わる人たちがすべて本気で死のうとしていないとは思わない。
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しかし、いざ死のうとすると苦痛と恐怖で思いとどまってしまう。

思いとどまるときに、たと…

グリーン車で横の席に荷物を置く人

私は常磐線で通勤しているのだが、最近朝がつらくて、
グリーン車に乗ることが多い。

私が乗る駅では、グリーン車は窓際はまず埋まっている。

窓際に人がいる隣の通路側の席に座る。


だが、そこにカバンを置いている人が非常に多い。

私はそれがとても頭にくる。というか、その神経が理解できない。


なぜそんなことができるのだろうか?

私は休日にもグリーン車に乗ることがあるが、

ガラガラでもとなりの席に荷物など置いたことはない。

なぜなら、グリーン車は有料だからだ。


距離によるが、550円とか770円とか、ランチが食べられるくらいの料金だ。


まあ、ガラガラであれば、カバンを置いても、私はしないが、まあ許せる。

でも、通勤ラッシュ時で、上野につくころにはほぼ満席になる常磐線のグリーン車で、

隣の席に荷物を置くのは許せない。

その荷物をつかんで放り投げたくなる気持ちを懸命に抑える。


時々、そういう人にむかって、「すいません」と言って席を空けてもらって座る人がいる。

謝るのは荷物を置いている方だろ!


そういうときに、荷物を置いている人が謝るのを見たことがない。

私は、絶対に謝らない。そこまでして座りたくない。


が、そういう人がいると、顔をじっと見る。

そうすると、だいたいどける。



最近わかってきたのだが、この行動は無神経であるとか気が利かないというのではなく、

隣に人を座らせたくないので故意にやっているようだ。


なんという、利己的な行為だろう。私はそういう行為が本当に嫌いだ。


私も、なるべく隣に人がいない席を選ぶ。隣に人が来て欲しくないという気持ちはわかる。

でも、だからって荷物を置いて座らせないようにするなんてことは絶対にできない。

そんなことまでしたくない。


昨日は、隣の席に荷物を置いて寝ている人に、「すいません」と声をかけている人がいたのだが、

寝ている人は2、3度声をかけられても起きなかった。

多分、気づいているのに起きなかったのだろう。



私は振り返って、その人がどんな顔をしているか見た。

年齢は私よりやや上、50歳前後だ。

上着を着ずにワイシャツとスラックスの、ごく普通のサラリーマン風の男性である。


特にバカそうでもズルそうでもダメ人間でもだらしない感じでもない。

でも、そういうごく普通の人間が、このような利己的な行為をするものなのである。

これは静かなる暴力と言ってもいい。


キンタマを掴まれる

この話はツイッターで言いたかったのだが、どうしても「キンタマ」と書く勇気が出なかったのでこっちに書く。

私は猥談が嫌いだ。
猥談なんかしていたのは高校生まで。
わけあって私は一切猥談をしなくなった。
飲み会でもしない。飲み会でそういう話題になると貝になる。

そして、「キンタマを掴まれる」という言葉には性的な意味はない。
それは常識かもしれないがやっぱりキンタマなどという言葉を口にすることははばかられる。
わたしも「キンタマ」などという言葉を思い出したのは久しぶりで、懐かしささえ感じた。

なんで思い出したかというと、夢の中でキンタマを掴まれたからだ。
その夢では、わたしは背後にぴったりと誰かが張り付いているのを感じていた。
それは見えないし、ぴったりではあるがそっとなので気のせいかなと思うくらいだ。
だが、間違いなく張り付いていると確信した。だが、それを自分で払いのけることはなぜかできない。

そこで、近くにいた知り合いと思われる人に、「ちょっとこれはがしてくれない?」と頼んだ。

それを頼んだときに掴まれたのか、その前から掴まれていたのかわからないが、
その背後にはりついていた何者かがわたしのキンタマを掴んでいた。
とても痛かった。その痛みは鋭いものではなく、鈍く、重いものだった。

そして結局背後にいるものがはがされないまま、目が覚めた。
その目が覚める瞬間に、キンタマの痛みもすーっと消えていった。
そして、わたしは「あ、これは自分が作り出している幻覚にすぎないな」ということがわかった。