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熱の出ない風邪

咳がでる。空咳。乾いた咳。なんで咳が出てるのかわからない。こんなことしても意味はない。なんとなくノドがムズムズしてその不快感を解消しようとしているかのような咳。

やがて鼻水が出てくる。どろどろしていない、水みたいな鼻水。そんなにずるずるはしない。 アタマが痛くなってくる。なんとなく体が熱っぽい。座っていられない。酒を飲む気にもならない。 眠くないが何もできないので横になる。

体を冷やすのはよくないだろうと思って長袖長ズボンのジャージを着る。 寝転がってiPadでyoutubeやニコ生ニコ動などを見るのもつらい。仰向けになって目をつぶる。 咳をするとアタマが痛い。明日は人と会う約束があるのだが断らなければならないかもしれないと思う。 

気がつくと寝ていた。目が覚めた瞬間は具合がよくなったように感じるがそれは一瞬で寝返りを打つとすぐに頭痛や咳が出てきて、さらに症状は悪化している。 これは熱がでているのではないかと測ってみるが、36.5度。ただし、わたしは平熱が36度もないくらいなので、ちょっと熱っぽいのかもしれない。 だが、「具合が悪いので今日の約束は延期してください」と言えるような体温ではない。一般的には平熱とされる体温だ。 だが、非常につらくて、立ったり座ったりすると頭が痛かったり咳がゴホゴホでるのであきらかに何か異常が起きている。 寝たり起きたりを繰り返し、おそらく2時間くらい寝た後に目覚めて、咳をするとようやくゴボゴボという湿った咳になり、けっこうな量の黄色い痰が出た。 約束の時間まではまだあるが、キャンセルするかどうかまだ迷っていた。熱を測ると36度ちょうどくらいで、やはり発熱はない。だがだるさやアタマの痛さはある。特に約束がない、通常の勤務であれば確実に休んでいるところだ。

その後何度か寝て起きては体温を測ることを繰り返したが症状もそれほど悪化せず体温は相変わらず平熱なので、約束の場所に出かけた。 

おそらく相手から見たら何の異常も感じられなかったのではないだろうか。多少咳こむことはあったが、風邪を引いたような咳ではない。 朝から何も食べず、駅の売店でオレンジジュースを買って飲み、待ち合わせ前に喫茶店でコーヒーを飲み、そのあとにさらにコーヒーを飲んだのでお腹がガブガブになっていたのか、お腹がゴロゴロゴロゴロ鳴る。でも別に下痢などはしていない。 食欲はあまりないが、夕食は普通に食べる。 それからまた寝転がる。夕べは断続的にではあったがずっと寝ていたので全然眠くない。咳はまだ少しでる。痰はほとんど出ない。鼻水も少しでる。 それからしばらく横になっていたら、だんだん具合がよくなってきた。咳もおさまり、頭痛もやわらいできた。 いいちこを飲む。

起き上がって、机に座り、いまこうしてこのエントリーを書いている。 治ったか? 薬の類はいっさい飲んでいない。 わたしは薬を飲むのをやめたのだ。下痢になっても、頭が痛くなっても、今日のように風邪でつらいがどうしても出かけねばならずとりあえず症状をやわらげたいというような時でも、薬は飲まない。 いままでは下痢をすれば正露丸を、風邪をひくもしくは風邪気味でつらければパブロンを飲んで、しばらくすると良くなったように感じていたが、薬を飲まなくても安静にしてしばらくすればやがて具合はよくなるものだということを知った。それどころか、薬を飲まないほうが治りが早いような気さえする。

風邪などというものは、最近はほとんど引かない。2年に一回くらいか。そして、だいたい風邪になるときというのはどうしても休めないような時ばかりで、実際私は仕事を風邪で休んだということはほんとうに数えるほど、3回もないと思う。 体調不良を理由に休むことは時々あるが、二日酔いか気分的に乗らないだけであって、本当の体調不良ではない。 今回の風邪のような症状はもうおさまりつつあるが、本当につらかった。でも、熱は出なかった。熱もでていないのだからきっと軽い症状だったのだろうが、そんな軽い症状でも堪えるほど私の体力が落ちたのだろうか。もしくは、精神的に弱くなったのだろうか。

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死を望む人の死生観

最近は死にたい気持ちがいっそう募ってきた。単なる慣用句また感動詞としての「死にたい」ではなく、本格的な「希死念慮」という奴である。

そしてまた自殺の方法を調べた。恐怖と苦痛が少なく迷惑もかけない死に方はないか・・・。

すると、2ちゃんねるの自殺未遂体験を語るスレッドが見つかった。
以前にもちょっと眺めたことはあるが、じっくり読んでみた。

多いのは薬物とリストカットと足がつく場所での首吊りだった。
失敗した原因は、同居人のいる自宅で遂行した、電話やメールで知人にほのめかすかあるいははっきり宣言して助けられた、恐怖で自殺を思いとどまった、などである。

共通しているのは、すべて自分が死ぬ覚悟ができていなかった、死ぬ恐怖に打ち勝てなかったということである。

自殺の話になるとまず言われるのは「自殺なんかしてはいけない。命は授かりものだ。」という自殺罪悪説である。それから、「自殺未遂なんて本気で死ぬつもりなどないのだ。死にたいのならとっとと死ね」という未遂に対する罵倒。そして、「何があったの?死ぬ前に誰かに相談すれば?生きてればいいことあるよ」という心配。

「自殺は素晴らしい」という人はまずいない。
だが、非常に潔く動機も生活苦などではない場合はそれが賞賛される場合もある。
乃木稀典とか、三島由紀夫とかである。

私はこの2人の自殺にも興味を持っていろいろと調べてみたが、あまり手放しでは賞賛できないような事実をいくつか知った。そして、2人の死について否定的な考えを表明している有名人も大勢いることを知った。



調べれば調べるほど、自殺というのは限りなく困難なもので、ほとんど不可能に近いと思えてくる。
ロープを用意し、山の中まで行って首を入れるところまでいってもやめてしまう人がいる。
薬の大量服用については、本人の意志に関係なく吐いてしまい、まず成功することがない。

未遂に終わった場合、「二度と自殺なんかしない」という人が多いが、中には「今度こそ」と考える人もいる。実際、自殺に成功した人は何度か未遂を繰り返した人が多いそうである。



私は自殺を試み未遂に終わる人たちがすべて本気で死のうとしていないとは思わない。
彼らは本当に絶望していて、生きることは苦痛以外の何物でもなく、死ぬしかないと思っている。
しかし、いざ死のうとすると苦痛と恐怖で思いとどまってしまう。

思いとどまるときに、たと…

グリーン車で横の席に荷物を置く人

私は常磐線で通勤しているのだが、最近朝がつらくて、
グリーン車に乗ることが多い。

私が乗る駅では、グリーン車は窓際はまず埋まっている。

窓際に人がいる隣の通路側の席に座る。


だが、そこにカバンを置いている人が非常に多い。

私はそれがとても頭にくる。というか、その神経が理解できない。


なぜそんなことができるのだろうか?

私は休日にもグリーン車に乗ることがあるが、

ガラガラでもとなりの席に荷物など置いたことはない。

なぜなら、グリーン車は有料だからだ。


距離によるが、550円とか770円とか、ランチが食べられるくらいの料金だ。


まあ、ガラガラであれば、カバンを置いても、私はしないが、まあ許せる。

でも、通勤ラッシュ時で、上野につくころにはほぼ満席になる常磐線のグリーン車で、

隣の席に荷物を置くのは許せない。

その荷物をつかんで放り投げたくなる気持ちを懸命に抑える。


時々、そういう人にむかって、「すいません」と言って席を空けてもらって座る人がいる。

謝るのは荷物を置いている方だろ!


そういうときに、荷物を置いている人が謝るのを見たことがない。

私は、絶対に謝らない。そこまでして座りたくない。


が、そういう人がいると、顔をじっと見る。

そうすると、だいたいどける。



最近わかってきたのだが、この行動は無神経であるとか気が利かないというのではなく、

隣に人を座らせたくないので故意にやっているようだ。


なんという、利己的な行為だろう。私はそういう行為が本当に嫌いだ。


私も、なるべく隣に人がいない席を選ぶ。隣に人が来て欲しくないという気持ちはわかる。

でも、だからって荷物を置いて座らせないようにするなんてことは絶対にできない。

そんなことまでしたくない。


昨日は、隣の席に荷物を置いて寝ている人に、「すいません」と声をかけている人がいたのだが、

寝ている人は2、3度声をかけられても起きなかった。

多分、気づいているのに起きなかったのだろう。



私は振り返って、その人がどんな顔をしているか見た。

年齢は私よりやや上、50歳前後だ。

上着を着ずにワイシャツとスラックスの、ごく普通のサラリーマン風の男性である。


特にバカそうでもズルそうでもダメ人間でもだらしない感じでもない。

でも、そういうごく普通の人間が、このような利己的な行為をするものなのである。

これは静かなる暴力と言ってもいい。


キンタマを掴まれる

この話はツイッターで言いたかったのだが、どうしても「キンタマ」と書く勇気が出なかったのでこっちに書く。

私は猥談が嫌いだ。
猥談なんかしていたのは高校生まで。
わけあって私は一切猥談をしなくなった。
飲み会でもしない。飲み会でそういう話題になると貝になる。

そして、「キンタマを掴まれる」という言葉には性的な意味はない。
それは常識かもしれないがやっぱりキンタマなどという言葉を口にすることははばかられる。
わたしも「キンタマ」などという言葉を思い出したのは久しぶりで、懐かしささえ感じた。

なんで思い出したかというと、夢の中でキンタマを掴まれたからだ。
その夢では、わたしは背後にぴったりと誰かが張り付いているのを感じていた。
それは見えないし、ぴったりではあるがそっとなので気のせいかなと思うくらいだ。
だが、間違いなく張り付いていると確信した。だが、それを自分で払いのけることはなぜかできない。

そこで、近くにいた知り合いと思われる人に、「ちょっとこれはがしてくれない?」と頼んだ。

それを頼んだときに掴まれたのか、その前から掴まれていたのかわからないが、
その背後にはりついていた何者かがわたしのキンタマを掴んでいた。
とても痛かった。その痛みは鋭いものではなく、鈍く、重いものだった。

そして結局背後にいるものがはがされないまま、目が覚めた。
その目が覚める瞬間に、キンタマの痛みもすーっと消えていった。
そして、わたしは「あ、これは自分が作り出している幻覚にすぎないな」ということがわかった。