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体調不良

昨年は仕事が忙しく、家に帰ってくるのは1時~2時という日が多かった。

週末は寝坊するが10時頃には目はさめる。

でも、そのまま寝床にいて、枕元に置いたPCやiPadなどを見て過ごす。

おっくうで何もやる気がしない。

3時くらいになると、このまま寝て過ごすのはもったいないと思い、出かける。


出かけても別に何をするというわけでもなく、あちこちをふらついて、

酒を飲んで、夜遅く帰る。


酒を飲まない日はない。

運動はしない。たまにしても、爽快さより疲労のほうが強く感じる。


そんな日々が続いたら、体調が悪くなった。

病院へ行ったり薬を飲んだり、仕事を休んだりするほどではない。


まず、常に痰が出る。

くしゃみをすると痰が出る。

が、出きれないで喉にからんでせき込むことがある。


下痢が多い。ほとんど毎日下痢をする。



朝食はとらず、夜は遅く寝る直前に食べる。

腹が出てきた。

肌が真っ白。


酒がまずくなった。

翌日、気持ち悪くなる。





最近仕事が少し楽になったせいか、下痢が治ってきた。

だが、その変わり困ったことがある。


便意をもよおすと、おなかというかほとんど肛門のあたりが、

キュイーンと音をたてているかのような痛みを発する。

痔ではない。


これは子供のころからたまに経験していたが、

最近また増えてきた。




なってもおかしくない、またはすでになっているかもしれない病気

糖尿病

痛風

膵炎

大腸がん

肝臓がん

喉頭がん

咽頭がん

後鼻漏

蓄膿症

すい臓がん


連休はがっつりとれて、しかもカネがなかったから、走った。

一時期はフルマラソンを走るくらい、走りこんでいた時期があったのだが、

最近はすっかり走らなくなっていた。



距離もスピードも当然ながら落ちている。


体重は増えている。マラソンを走ったころから10kgくらい増えている。



走っても、けがをして走れなくなることが多い。

そのけがも、膝が痛いとかではなく、だいたいふくらはぎを痛める。


筋肉痛が来る前に肉離れになりそうになる。

柔軟性の低下。



今年に入って、グルテンフリーを始めた。

小麦粉をとらないのだ。

具体的に食べない食品は、

ビール、ラーメン、揚げ物、うどん、スパゲティ、パンなど。


そんなに厳密ではない。最近はビールはたまに飲む。

でも、以前はほぼ毎晩、食事の時に飲んでいた。

酒を飲んで、ちょっと飲みすぎたから、というようなときにチェイサーのような感じで

ビールを飲んでいた。


そばは十割そば。その辺にある立ち食いそば屋のそばは、半分以上小麦粉であることを、

グルテンフリーを始めて、知った。

そば粉の割合は富士そばで4割、ゆで太郎で5割くらいらしい。


グルテンフリーを始めたばかりの頃はそばは食べてもいいと勘違いして食べていた。

最近は十割そばの嵯峨谷へよく行く。


グルテンフリーを始めたのは、明らかに太ってきたからだ。

それだけでなく、飲酒、ストレス、睡眠不足があきらかで、なんらかのことをしないと

身体がぶっこわれると思って始めた。


もう5月になったが、特にやせもしないし体調もあまり変わらない。

そもそもグルテンフリーはそれほど劇的な効果はもたらすものではないらしい。


あんなに毎日飲んでいたビールだが、飲みたくならない。

酒はおそらく死ぬまで、よっぽどの大病でもしないとやめることはないだろう。

でも、ビールは別に飲まなくても耐えられる。


特に、日本でビールといえばスーパードライ、ラガー、一番搾りなどであるが、

あの手のビールはコーンスターチだかが入っていて、

ドイツなんかではビールとして販売できないようなシロモノである。



体調改善を目的として始めたグルテンフリーであるが、

最近の不調はもしかしてそれのせいか?と思ったりもする。



もうひとつ気になっているのが、砂糖である。

私は最近、ほとんど砂糖をとっていない。


これは避けているというよりも、体が欲しない。


飲み物は基本的に無糖。コーヒーはブラック。

お菓子類は食べない。

たまに、チョコレートを食べる。


外食すれば、料理に砂糖が使われているかもしれないが、

自分が食べるものはおそらく砂糖など使われていない。


たとえば、定番の昼食は、ごはん、みそ汁、納豆、卵、塩じゃけである。

砂糖は使われていないだろう。

照り焼きとか、煮物とかなら砂糖が入っているだろうか?


砂糖については、その有害さをよく聞くので、砂糖をとらないのはいいことだと思っていたのだが、

最近、どうもアタマの疲労、つまり脳の疲労がなかなか回復しないように感じている。


砂糖は脳によい、という説もあるのだが、それを主張しているのは砂糖を製造している会社だったりして、信ぴょう性が疑わしい。

でも、実感として、砂糖をとらなくなってから自分にはつらつさとか、集中力とか、積極性とか、そういうものがなくなってきたような気がしてならない。


ほかにも、玄米は農薬が多く付着しているとか、魚を食べすぎると水銀中毒になるとか、肉も少し食べたほうがいいとか、カフェインは体にいいとか悪いとか、炭酸は歯を溶かすとか、

いろんな説があって、何を信用していいかわからない。


ただ、とりあえず私はコンビニではなるべく食品を買わないようにしている。

コンビニの弁当はもう2年くらい食べていない。


マクドナルド、吉野家、松屋等にも行かない。


最近行くのは韓国か中国料理屋が多い。


ファミレスとかも行かない。だから、食事の時に日本人が接客する店にいくと、なんか緊張しさえするようになった。



それから、日光。

以前、「人間にとって日光を浴びてよいことは何もないから極力避けるべきだ」という話をきいたことがあって、それだけが理由でもないが、あまり日光を浴びないようになっていた。

海へ行くとか、外でスポーツをするとかいうことをしない。

そういう機会があっても、あまり肌を焼かず、帽子をかぶったり袖のあるシャツを着るなどしていた。

最近は昼間に外に出ること自体がほとんどなくなった。

が、最近、少し日光を浴びたほうがよいのではと思うようになった。

きっかけは、腕時計である。

私の腕時計は電池ではなく太陽光で動く。


こないだ、その腕時計の日付が表示される小さな窓に「Lo」と表示された。

だいたい想像はついたが調べてみると、受光が不十分という意味であった。


数年していたがそんなことは初めてで、いかに自分が日光を浴びていないかがわかった。

日光についても、浴びることのメリットがいろいろあるらしい。



というように、いろいろ、健康のためにいいこと悪いことを見直している。


今まではそんなことは気にせずに元気で生きていられたのだが、

さすがに最近は過労と加齢によって、今まで通りに無頓着ではいられなくなった。

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死を望む人の死生観

最近は死にたい気持ちがいっそう募ってきた。単なる慣用句また感動詞としての「死にたい」ではなく、本格的な「希死念慮」という奴である。

そしてまた自殺の方法を調べた。恐怖と苦痛が少なく迷惑もかけない死に方はないか・・・。

すると、2ちゃんねるの自殺未遂体験を語るスレッドが見つかった。
以前にもちょっと眺めたことはあるが、じっくり読んでみた。

多いのは薬物とリストカットと足がつく場所での首吊りだった。
失敗した原因は、同居人のいる自宅で遂行した、電話やメールで知人にほのめかすかあるいははっきり宣言して助けられた、恐怖で自殺を思いとどまった、などである。

共通しているのは、すべて自分が死ぬ覚悟ができていなかった、死ぬ恐怖に打ち勝てなかったということである。

自殺の話になるとまず言われるのは「自殺なんかしてはいけない。命は授かりものだ。」という自殺罪悪説である。それから、「自殺未遂なんて本気で死ぬつもりなどないのだ。死にたいのならとっとと死ね」という未遂に対する罵倒。そして、「何があったの?死ぬ前に誰かに相談すれば?生きてればいいことあるよ」という心配。

「自殺は素晴らしい」という人はまずいない。
だが、非常に潔く動機も生活苦などではない場合はそれが賞賛される場合もある。
乃木稀典とか、三島由紀夫とかである。

私はこの2人の自殺にも興味を持っていろいろと調べてみたが、あまり手放しでは賞賛できないような事実をいくつか知った。そして、2人の死について否定的な考えを表明している有名人も大勢いることを知った。



調べれば調べるほど、自殺というのは限りなく困難なもので、ほとんど不可能に近いと思えてくる。
ロープを用意し、山の中まで行って首を入れるところまでいってもやめてしまう人がいる。
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未遂に終わった場合、「二度と自殺なんかしない」という人が多いが、中には「今度こそ」と考える人もいる。実際、自殺に成功した人は何度か未遂を繰り返した人が多いそうである。



私は自殺を試み未遂に終わる人たちがすべて本気で死のうとしていないとは思わない。
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しかし、いざ死のうとすると苦痛と恐怖で思いとどまってしまう。

思いとどまるときに、たと…

グリーン車で横の席に荷物を置く人

私は常磐線で通勤しているのだが、最近朝がつらくて、
グリーン車に乗ることが多い。

私が乗る駅では、グリーン車は窓際はまず埋まっている。

窓際に人がいる隣の通路側の席に座る。


だが、そこにカバンを置いている人が非常に多い。

私はそれがとても頭にくる。というか、その神経が理解できない。


なぜそんなことができるのだろうか?

私は休日にもグリーン車に乗ることがあるが、

ガラガラでもとなりの席に荷物など置いたことはない。

なぜなら、グリーン車は有料だからだ。


距離によるが、550円とか770円とか、ランチが食べられるくらいの料金だ。


まあ、ガラガラであれば、カバンを置いても、私はしないが、まあ許せる。

でも、通勤ラッシュ時で、上野につくころにはほぼ満席になる常磐線のグリーン車で、

隣の席に荷物を置くのは許せない。

その荷物をつかんで放り投げたくなる気持ちを懸命に抑える。


時々、そういう人にむかって、「すいません」と言って席を空けてもらって座る人がいる。

謝るのは荷物を置いている方だろ!


そういうときに、荷物を置いている人が謝るのを見たことがない。

私は、絶対に謝らない。そこまでして座りたくない。


が、そういう人がいると、顔をじっと見る。

そうすると、だいたいどける。



最近わかってきたのだが、この行動は無神経であるとか気が利かないというのではなく、

隣に人を座らせたくないので故意にやっているようだ。


なんという、利己的な行為だろう。私はそういう行為が本当に嫌いだ。


私も、なるべく隣に人がいない席を選ぶ。隣に人が来て欲しくないという気持ちはわかる。

でも、だからって荷物を置いて座らせないようにするなんてことは絶対にできない。

そんなことまでしたくない。


昨日は、隣の席に荷物を置いて寝ている人に、「すいません」と声をかけている人がいたのだが、

寝ている人は2、3度声をかけられても起きなかった。

多分、気づいているのに起きなかったのだろう。



私は振り返って、その人がどんな顔をしているか見た。

年齢は私よりやや上、50歳前後だ。

上着を着ずにワイシャツとスラックスの、ごく普通のサラリーマン風の男性である。


特にバカそうでもズルそうでもダメ人間でもだらしない感じでもない。

でも、そういうごく普通の人間が、このような利己的な行為をするものなのである。

これは静かなる暴力と言ってもいい。


キンタマを掴まれる

この話はツイッターで言いたかったのだが、どうしても「キンタマ」と書く勇気が出なかったのでこっちに書く。

私は猥談が嫌いだ。
猥談なんかしていたのは高校生まで。
わけあって私は一切猥談をしなくなった。
飲み会でもしない。飲み会でそういう話題になると貝になる。

そして、「キンタマを掴まれる」という言葉には性的な意味はない。
それは常識かもしれないがやっぱりキンタマなどという言葉を口にすることははばかられる。
わたしも「キンタマ」などという言葉を思い出したのは久しぶりで、懐かしささえ感じた。

なんで思い出したかというと、夢の中でキンタマを掴まれたからだ。
その夢では、わたしは背後にぴったりと誰かが張り付いているのを感じていた。
それは見えないし、ぴったりではあるがそっとなので気のせいかなと思うくらいだ。
だが、間違いなく張り付いていると確信した。だが、それを自分で払いのけることはなぜかできない。

そこで、近くにいた知り合いと思われる人に、「ちょっとこれはがしてくれない?」と頼んだ。

それを頼んだときに掴まれたのか、その前から掴まれていたのかわからないが、
その背後にはりついていた何者かがわたしのキンタマを掴んでいた。
とても痛かった。その痛みは鋭いものではなく、鈍く、重いものだった。

そして結局背後にいるものがはがされないまま、目が覚めた。
その目が覚める瞬間に、キンタマの痛みもすーっと消えていった。
そして、わたしは「あ、これは自分が作り出している幻覚にすぎないな」ということがわかった。