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2016年5月28日土曜日

一般化するな

ここ数か月くらい、ずっと言いたかった。

私がアタマにくる、人の嫌いな言い方というか、考え方。

それは、「一般化する」ことだ。


これはたぶん、本当は話したくないのに話す世間話などのときに見られる。

私の場合は、飲みに行ったとき、いわゆるキャバクラのような店に行ったときに、

ときどきある。


私は自分が思うこと、経験したこと、疑問に感じていること、やってみようと思うことなどを、

深く考えることもなくベラベラとしゃべる。


別にそんなに深刻に考えているわけではないが、

人をののしったり、恨んだり、愚痴ったりすることも多い。


すると、話を聞いている人、だいたい女だが、が、

「それって、○○ですよね。」

「やっぱり、AはBですよね。」


と俺の話を一般化するのだ。それが腹が立つ。


具体的な例をあげると・・・。


わかりやすいのでいうと、

仕事を探しているときの面接で、好きな音楽は何か、誰が好きか、という話になって、

私はボブディランが好きだ、と答えた。


すると面接官、それは私と同世代かやや若いくらいの男性だったが、

「あ~、70年代くらいのロックですか、ストーンズとか。」

と言った。


『いやいや、ディランだよ。なんでディラン=70年代なんだよ。ストーンズなんて一言も言ってねえよ。』

というような疑問が一気にわいたがもちろん口には出さなかった。




音楽で言えば、「ディープパープルが好きだ」というと、

「僕もディープパープルとかレッドツェッペリンは好きですね。」という人は多い。

この二つのバンドを同ジャンルにくくる人の神経が許せない。

もう、青と赤くらい対照的な全然違うバンドなのに。



わかりやすいので音楽の例であげたが、

本当に頭にくるのはもっと別のことだ。


具体的な例がすぐにあげられないのだが、

自分が不満に思っていることや、ある種の人々に対する批判的なことを言ったときに、

それは俺を気遣ってのことなのかもしれないが、

結果的には『ハイハイ、わかりました、あんたの言う通りですよ』

と、聞き流しているのも同然の、安易な同調のことである。



つい最近あったことだが、

「死にたい、いつ死んでもいい、生きていても別に楽しくない」

というようなことを言った。



それは私の口癖のようなもので、そんなに切羽詰まって本気で自殺を考えていたわけではない。

でも、私は、「人間生きていれば何かいいことがある」という考えが大嫌いで、

病気とか家庭や社会環境によって生きていることがつらくてたまらない人にとっては

死んだ方がいいケースがある、ということはゆずれない。


そのことを理解してもらえない人は多い。

何も考えていないのか、バカなのか、無神経なのか鈍感なのかしらないが、

うまいものを食べて空調のきいた場所でテレビをみたり音楽をきいたりゲームをしたりして

気持ちよくすごすのが人生だと、幸福だと本気で思っている人。



不機嫌だったり不満だったり、怒っていたりしている人が客だったり上司だったりして、

聞いている人はその話を受け入れて、あわよくば機嫌をなおしてやろうと思うことがある。

私もある。


でもそれは、本当に相手のことを思ってしているのではなく、

面倒くさい、せいぜいが相手に怒られたくない、後で文句を言われたくない、

という消極的かつ自分本位の動機によるのである。


そして、それを恥じていない。ひどいときには気づいてさえいない。


その、「死にたい」ということを言ったときに、相手が何をいったのかは覚えていないが、

自分が相手の言ったことにたいして猛然と腹が立って、まったく顔を見ることもなく、

次のようなことを何度も言ったのは覚えている。


「毎日頭の上から石が降ってきたり誰かにナイフでブスブスさされるような人生を送っている人にとっては生きていることは地獄でしかないでしょう?そんな人に対して、生きていればいいことがある、イヤなことは忘れて楽しいことを考えなよ、なんて言えるか?そういう人にとっては死んだほうがその人にとって幸せなんだ。これは極端な例だが、俺が死んだ方がマシだというのはそういう意味だ」