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2016年11月27日日曜日

無数の凡人

「人間には誰でも生まれてきた理由があり、すべきことがある」

ということを聞いたことがないだろうか。

私は何度かある。


また、それと似たような考えで、

「人は何か一つのことを極めるべきだ。人には必ず何かの才能がある。数学がまったくできなくたって自分に得意なことをやればよい」

ということもよく聞く。


これらを、私は否定する。


人間には生まれてきた理由などない。

一人一人には。


神も霊魂も死後の世界も否定するクセに、どんなオカルトよりも非合理的な支離滅裂な独善的な考えを恥ずかしげもなく表明する。



人権とか平等とかいう考えは、人間は素晴らしいものだからという積極的な動機で生まれたものではない。

過去には人が人として扱われない時代があり、不公平や差別が横行していた。

それに不満を抱いた人々が、可能性だけは与えてくれ、前提条件だけは同じにしてくれと必死になって認めさせたのが人権とか平等とかいうものである。


だが、だれもが大人になってしばらくたつと悟るはずだが、

人には明らかに優劣がある。

努力では超えられない何かを持った人が存在する。


天才と呼ばれる人、成功者と呼ばれる人は、「誰だって努力すれば成功する」という人が多いが、

それは謙遜しているか、深く考えていないだけだ。


そもそも無数の凡人が存在しなければ天才も成功もありえない。


だれがやってもできることならそれは偉業ではない。



私はなんの才能もない無名の無数の凡人たちに生きる価値がない、死ね、と言っているわけではない。


私自身がその無数の凡人の一人だからだ。


でも、私は、「自分だって同じ人間だ、生きる価値がある」などとは決して考えない。


人間の価値とか生きる意味というものは、生まれたときにソフトウェアのように書き込まれているものではない。


私は二十歳になるころまで、本気でそういうものがあるのだと思っていた。



天才とか成功者と呼ばれる人たちがすさまじい努力をしているというのはよく聞くし、

実際そうなのだろう。


でも、我々無数の凡人達だって苦しみに耐えている。

痛いほどの退屈や無意味な疲労を積み重ねている。


成功者から見ればその方がよっぽどの苦行だろう。



苦労はしても、成功しない人がいる。


成功するかどうかは後天的に決まることだ。それは認める。

でも、だからと言ってそれが誰にでもできることだというのは、絶対に嘘だ。