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2017年3月12日日曜日

進化するなら

また進化論のことを書いてみたい。

進化がおこると仮定して、その進化の動機や目的を抱く主体はなんだろうか。

何を例にしようか。キリンの首でもいいんだけど、もっと地味な目立たないものがいい。

思いつかないのでキリンにする。


さて、大昔のまだ首が長くなかったキリンを思い浮かべてほしい。

そのキリンを太郎と呼ぶことにする。

太郎はいつも、木の葉っぱを食べながら、「もっと首が長ければ高いところの葉っぱが食べられるのに。首が長くならないかな。」と思っていた。

でも、もちろん首が長くなることなどなかった。

別のキリンがいた。和夫と呼ぶことにする。和夫も太郎と同じことを思っていたが、和夫はわずかではあるが太郎より首が長かった。

ある日たまたま太郎と和夫が近くで葉っぱを食べていたら、太郎が届かないところにある葉っぱを和夫が食べていた。

さて、このとき、和夫が生き残り太郎が滅びるということが起こるだろうか。

和夫のほうがより子孫を残し太郎のほうが残さないというようなことが。


太郎の子が3頭、和夫の子が4頭だったとする。

和夫の子はやはり太郎の子より首が少し長くて、和夫の子は4頭ずつ子を残し、太郎の子たちは3頭ずつしか残せなかった。

それが繰り返されるうちに、キリンは首が長いものが多くなった。

これはなんとなく納得はできる。

でも、大きな前提条件がある。

それは、和夫の首が太郎の首より長かったのは、和夫の努力のたまものではないということだ。

仮に、和夫の行動や食べるものや睡眠時間や子を産ませるメスの選択が首が長くなるように作用したとしても、それは偶然でしかない。

もしかしたら、どうしても首を伸ばしたいという執念のようなものがあって、和夫はそれが強かったのかもしれない。

仮にそうだとしても、そのような執念が遺伝するだろうか。

人間の世界でも、背の高い親から背の高い子が生まれるといったことは観察できる。


それはあるだろう。でも、それは遺伝なのであって、いやでも背が高くなるのであって、

逆に彼らに背を高くする能力はない。かってになるのだから。先天的なものだ。


だから、仮に進化というものがあったとしても、生物の体を変化させる力、意志のようなものは、個々の生物にはない。外部から働くものだ。

「キリンは高いところの葉を食べられるように数百万年かけて首を長く進化させた」

というようなことが言われるが、その間に生まれて死んでいったキリンは無数にいる。

でも、一頭一頭のキリンはもちろん個別で、「我々は先祖代々からのキリンであり私はこの血統を後世に残すために全力をかけて戦う」などと思っているキリンはいないだろう。

いるかもしれないが、進化論を主張する人だってそんなことを言いたいわけではないだろう。

そして、首が長くなることはたしかに有利かもしれないが、数百万年にわたって生まれるキリン達が全員一致で首を長くすることを選択するなどということがあり得るか?

中には猿のように木に登れたら、鳥のように飛べたら、もっと言うと、究極的には直立二足歩行して火をつかい言葉をつかい人間という万物の霊長になることをどうして目指さないのか。

人間が生物の究極の進化形であるならなぜ地上に存在するすべての生物は人間にならなかったのか・・・?