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2017年4月16日日曜日

テレビの役割

テレビを見るのをやめて、何年たっただろうか。3年か4年くらい。

とはいえ、テレビはあちこちにあるので、食事の時とか、ホテルに泊まったときとか、見ることはある。

インターネットでもテレビでこんな番組が放送されて話題になったということがニュースになったりtwitterで話題になったりする。

さらに、youtubeにはテレビ番組の複製のような動画がたくさんあって、私はそれをむさぼるように観ているので、「テレビを見ていない」などと、カッコつけて言えないのかもしれない。


さて、このところ、トランプ大統領がシリアを爆撃して、北朝鮮にも、みたいなことが言われている。

私は暇さえあればtwitterを見る。仕事中はあまり見れないが、トイレの個室に入ったら呼吸をするように自然に見る。

私にとってtwitterはもう、体の一部のようになっている。


さて、そのtwitterで、最近よく見るのが、「シリアや北朝鮮で緊迫した事態が起きているのに日本では浅田真央の引退とか森友学園の問題とかどうでもいいことばかりニュースになっている」というようなツイートである。

こういうことが言われるのは今に始まったことではない。

たとえば、もうずいぶん昔の話だが、私が高校生の頃、東大の学生がボートに乗っていて転覆して死亡するとかいう事故が起きたことがあって、そのニュースが朝日新聞の一面トップに載ったことがある。

当時高校では「現代社会」という、なんだかよくわからない科目があって、その授業をやっていたのは東大卒の先生だったのだが、こんなことを一面トップに載せるべきではない、と、授業で話していた。


新聞や週刊誌などについても、アサヒは左だ、サンケイは右だ、フジは右でテレ朝は左だ、などということもよく言われる。自分でも、同じようなことを感じていた。

しかし最近はテレビをはじめ、ほとんどの放送とか出版とかいうものから遠ざかっていて、それらの情報に触れる機会さえない。

twitterとyahooジャパンくらいが私の情報源である。

日経新聞をとっているが、読む時間は日に日に短くなっていて、今では一面から最後までめくるのに3分くらいしかかからない。

読む速度があがったのではなく、読まなくなったのである。


その結果、報道とかマスコミとか言われるものは、私にとってほとんど無意味で無価値になった。

テレビで浅田真央のことを放送しようが森友学園のことを放送しようが、私には何も関係ない。不快も感じないし怒りも覚えない。


しかし、あらたな怒りが芽生え始めた。

そのような、「マスコミがあるべき報道の姿勢」みたいなことを言う人たちに対してだ。


オマエラは何様なのか。


それから、北朝鮮とかシリアとかのことが重大で浅田真央はどうでもいいというのは私も同意見だが、それはテレビや新聞が何を報じようがあなたはすでにわかっている。

真に重大なことはテレビや新聞では報道されないことはわかっているじゃないか。

そもそもテレビとは何か?

真実を伝える媒体か?違う。

テレビというのは娯楽媒体である。


娯楽のための放送である。

ナンセンスなお笑い、芸能人のゴシップ、スポーツ、マンガ、アニメ、ドラマなど、

仕事や学業で疲れた人が、リラックスしたり、憂さ晴らしのために見る、低級な娯楽を提供するための放送なのである。


真実を知りたければ、テレビなどに頼らず、自分で信頼できる筋から情報を得ればよいのである。