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2017年7月9日日曜日

ガンの手術

Kさんがガンだということが公表されたとき、私はかなり進行していてたぶん長くはないだろうと思った。

やがてブログが開始されて、本人の写真も含めてかなり詳しい状況が公開されていた。

それを見ると、私の予想よりも彼女はずいぶん元気で、ひょっとしたらなんとかなるんじゃないだろうかと思い始め、最近は本当にガンなのかと疑いすらし始めた程であった。

ある日、職場のパソコンで見たyahooのニュースで彼女の死を知った。

その頃はブログも読んでいなかったが、亡くなったときは自宅療養に切り替えていた。

それは治療というより、自宅で最期を迎えさせてあげようという配慮だっただろう。

亡くなった後聞いた話によれば、やはり発覚時にはかなり進行していて余命を告げられるほどだったらしい。


彼女が若くしてなくなったことで衝撃を受けたであろう世間の人が「もっと早く気づいて手術していれば」「どうして手術しなかったのか」などと言うのを目にしたが、私は彼女があの状態から1年も生きたのは驚異的といってもいいのではないかと思っている。

しかも彼女は写真も載せてこまめにブログを書いていた。

芸能活動を続けていたといってもいいくらいだ。


私は父がガンになって手術、退院、再発、再手術を経て亡くなる姿を見ているが、
私はむしろ、父は手術をしなければよかったのではと思いさえする。

手術によって激痛におそわれ食事もとれず、生活は一変した。
我々は、父自身も含め、ガンであったこともガンが切り取られたことすらも、
医者が言ったことを信じるしかなかった。

もちろん医師は本人と家族に手術するかどうかの判断をゆだねたのであるが、
我々にできるのはせいぜいインターネットで情報を検索することくらいである。

近所の人に「父がガンになったんですが手術したほうがいいでしょうか」と
相談するわけにもいかない。

医師の話やインターネットなどの情報によれば、父がかかったガンは部位や発見したときの進行具合にしては、長く生存したほうではないかと思うが、
手術しなかったらどうだったかというのは、わからない。


Mさんについても、手術すればしたで「しなければよかったのでは」しなければ「すればよかったのでは」となり、どちらがよかったかはわからないが、

私が知っているのはガンを切除するというのは他人事だと簡単そうで、悪いところは取ればいいに決まっている、と思うが、じっさいにはそんな単純なものではないということだ。