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ウザい奴

今職場にウザい奴がいる。

私は職場ではあまり感情を表に出さず、同僚でも上司でも部下でも客でも、好き嫌いを抱くことはないというか、そういう感情は抑えようと努力しているのだが、その人についてはどうも我慢がならない。

私はフリーで仕事をしており、ある会社にエージェントになってもらい、ある会社に常駐して仕事をしている。

もうこの職場に来て3年くらいになる。

そのウザい人は、最近やってきた。

そして、彼は私のエージェントである会社の社員で、以前同じ職場にいたことがある。そして彼はチームリーダーだったので、私の上司のような存在で、私に指導的なことさえしていた。

その頃は、別に彼をウザいとは思わなかった。

私は3年前にその職場を去り、今の職場に来た。

久しぶりにあった彼は、なんだか少し老けたように、疲れているように見えた。

私の知っている彼はもう少しエネルギッシュで明るかった。


彼が私と同じ職場に来るかもしれないという話は聞いていたのだが、

どうも彼の評判があまりよくないようだった。

というのは、彼は別の部署にいったん入ったのだが、3か月ほどしてこちらに異動のようなかたちになったのだ。

社員ではないから異動とはいわないが、そんなものである。

3か月というのはあまりに短い。

そしてそこで一緒に仕事をした人から、彼についてはあまりいい評価が聞かれなかった。


彼は出勤初日にマスクをしてきた。真夏である。

私は驚いて風邪をひいているのかときくとそうだと言ったのだが、彼はそれからずっと常にマスクをしている。

最近やたらとマスクをする人が増えているが、彼もその一人だ。


私は風邪もひいてないのにマスクをする人が嫌いだ。

私など、風邪を引いてもマスクをしないくらいだ。あんなもの気休めだ。


マスクをするのは、他人あるいは自分の口臭を気にしているのだろうかと思ったことがあるが、インターネットの何かの記事で、「マスクをすることはコミュニケーションを阻害する」というような話を読んだ。

彼はマスクをしているせいもあるし、以前にくらべて聞き取りにくい、活舌の悪いしゃべり方をするようになった。

そして、彼は唐突に質問してきたり自分の意見を言ってきたりする。

その時の表情が、なんだか無表情で、少し不気味だ。

話す内容は冗長で繰り返しや思い込みが多く、聞いていてイライラする。


そして、彼は馴れ馴れしい。

私は3年いる職場なのに年下にたいしてもほぼ敬語でおとなしく接しているのに、

彼は「上から目線」というか、しょせん正社員ではない「下請け」のクセに対等な立場に立とうとしていて、見ていてヒヤヒヤする。

案の定、何人かの社員と衝突し、仕事でも早速ミスを犯した。


どうも彼は、どこか体調が悪いのではないだろうか。

顔色が悪い。目に光がない。


私は彼は精神科に通って薬でも飲んでいるんじゃないだろうかと思っている。

私もその経験がある。

いわゆる「メンヘラ」である。


別にそれは悪いことではないが、いいことでもない。

私は精神科に通って薬を飲んだことで自分が治癒したという実感はない。

ただ、休んで回復したのだと思っている。

薬で治るなら、それは心の問題ではない。肉体の問題だ。



このウザい男はたぶんこの職場で長く続かないと思う。

彼についてはエージェントからよく話を聞くのだが、どうも最近パッとしないようである。

あちこちでミスを犯しているらしい。


話していてわかるのは、話がうわっつらで気分的で浅いということである。

これは、私が最近よく目にし嫌悪している「自分はできないのに人にやらせるエンジニア」の典型である。

30歳かそこらでベテランを気どり、自分で手を動かし足を使うことをやめてしまった勘違い管理者のなれの果てである。






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死を望む人の死生観

最近は死にたい気持ちがいっそう募ってきた。単なる慣用句また感動詞としての「死にたい」ではなく、本格的な「希死念慮」という奴である。

そしてまた自殺の方法を調べた。恐怖と苦痛が少なく迷惑もかけない死に方はないか・・・。

すると、2ちゃんねるの自殺未遂体験を語るスレッドが見つかった。
以前にもちょっと眺めたことはあるが、じっくり読んでみた。

多いのは薬物とリストカットと足がつく場所での首吊りだった。
失敗した原因は、同居人のいる自宅で遂行した、電話やメールで知人にほのめかすかあるいははっきり宣言して助けられた、恐怖で自殺を思いとどまった、などである。

共通しているのは、すべて自分が死ぬ覚悟ができていなかった、死ぬ恐怖に打ち勝てなかったということである。

自殺の話になるとまず言われるのは「自殺なんかしてはいけない。命は授かりものだ。」という自殺罪悪説である。それから、「自殺未遂なんて本気で死ぬつもりなどないのだ。死にたいのならとっとと死ね」という未遂に対する罵倒。そして、「何があったの?死ぬ前に誰かに相談すれば?生きてればいいことあるよ」という心配。

「自殺は素晴らしい」という人はまずいない。
だが、非常に潔く動機も生活苦などではない場合はそれが賞賛される場合もある。
乃木稀典とか、三島由紀夫とかである。

私はこの2人の自殺にも興味を持っていろいろと調べてみたが、あまり手放しでは賞賛できないような事実をいくつか知った。そして、2人の死について否定的な考えを表明している有名人も大勢いることを知った。



調べれば調べるほど、自殺というのは限りなく困難なもので、ほとんど不可能に近いと思えてくる。
ロープを用意し、山の中まで行って首を入れるところまでいってもやめてしまう人がいる。
薬の大量服用については、本人の意志に関係なく吐いてしまい、まず成功することがない。

未遂に終わった場合、「二度と自殺なんかしない」という人が多いが、中には「今度こそ」と考える人もいる。実際、自殺に成功した人は何度か未遂を繰り返した人が多いそうである。



私は自殺を試み未遂に終わる人たちがすべて本気で死のうとしていないとは思わない。
彼らは本当に絶望していて、生きることは苦痛以外の何物でもなく、死ぬしかないと思っている。
しかし、いざ死のうとすると苦痛と恐怖で思いとどまってしまう。

思いとどまるときに、たと…

グリーン車で横の席に荷物を置く人

私は常磐線で通勤しているのだが、最近朝がつらくて、
グリーン車に乗ることが多い。

私が乗る駅では、グリーン車は窓際はまず埋まっている。

窓際に人がいる隣の通路側の席に座る。


だが、そこにカバンを置いている人が非常に多い。

私はそれがとても頭にくる。というか、その神経が理解できない。


なぜそんなことができるのだろうか?

私は休日にもグリーン車に乗ることがあるが、

ガラガラでもとなりの席に荷物など置いたことはない。

なぜなら、グリーン車は有料だからだ。


距離によるが、550円とか770円とか、ランチが食べられるくらいの料金だ。


まあ、ガラガラであれば、カバンを置いても、私はしないが、まあ許せる。

でも、通勤ラッシュ時で、上野につくころにはほぼ満席になる常磐線のグリーン車で、

隣の席に荷物を置くのは許せない。

その荷物をつかんで放り投げたくなる気持ちを懸命に抑える。


時々、そういう人にむかって、「すいません」と言って席を空けてもらって座る人がいる。

謝るのは荷物を置いている方だろ!


そういうときに、荷物を置いている人が謝るのを見たことがない。

私は、絶対に謝らない。そこまでして座りたくない。


が、そういう人がいると、顔をじっと見る。

そうすると、だいたいどける。



最近わかってきたのだが、この行動は無神経であるとか気が利かないというのではなく、

隣に人を座らせたくないので故意にやっているようだ。


なんという、利己的な行為だろう。私はそういう行為が本当に嫌いだ。


私も、なるべく隣に人がいない席を選ぶ。隣に人が来て欲しくないという気持ちはわかる。

でも、だからって荷物を置いて座らせないようにするなんてことは絶対にできない。

そんなことまでしたくない。


昨日は、隣の席に荷物を置いて寝ている人に、「すいません」と声をかけている人がいたのだが、

寝ている人は2、3度声をかけられても起きなかった。

多分、気づいているのに起きなかったのだろう。



私は振り返って、その人がどんな顔をしているか見た。

年齢は私よりやや上、50歳前後だ。

上着を着ずにワイシャツとスラックスの、ごく普通のサラリーマン風の男性である。


特にバカそうでもズルそうでもダメ人間でもだらしない感じでもない。

でも、そういうごく普通の人間が、このような利己的な行為をするものなのである。

これは静かなる暴力と言ってもいい。


キンタマを掴まれる

この話はツイッターで言いたかったのだが、どうしても「キンタマ」と書く勇気が出なかったのでこっちに書く。

私は猥談が嫌いだ。
猥談なんかしていたのは高校生まで。
わけあって私は一切猥談をしなくなった。
飲み会でもしない。飲み会でそういう話題になると貝になる。

そして、「キンタマを掴まれる」という言葉には性的な意味はない。
それは常識かもしれないがやっぱりキンタマなどという言葉を口にすることははばかられる。
わたしも「キンタマ」などという言葉を思い出したのは久しぶりで、懐かしささえ感じた。

なんで思い出したかというと、夢の中でキンタマを掴まれたからだ。
その夢では、わたしは背後にぴったりと誰かが張り付いているのを感じていた。
それは見えないし、ぴったりではあるがそっとなので気のせいかなと思うくらいだ。
だが、間違いなく張り付いていると確信した。だが、それを自分で払いのけることはなぜかできない。

そこで、近くにいた知り合いと思われる人に、「ちょっとこれはがしてくれない?」と頼んだ。

それを頼んだときに掴まれたのか、その前から掴まれていたのかわからないが、
その背後にはりついていた何者かがわたしのキンタマを掴んでいた。
とても痛かった。その痛みは鋭いものではなく、鈍く、重いものだった。

そして結局背後にいるものがはがされないまま、目が覚めた。
その目が覚める瞬間に、キンタマの痛みもすーっと消えていった。
そして、わたしは「あ、これは自分が作り出している幻覚にすぎないな」ということがわかった。